分岐点と僕。

photo ASHIHARA TERUNARI in Berlin


たとえば。

そこに二つの分かれ道が

あったとしても

右でいこうが、左でいこうがその先の道は同じで繋がってる。

結局、どっちを選んでも一緒のこともある。


セパレートに区切られた目の前の分岐点のどちらかを

選ばずに、立ち止まってる時が一番、ダサい時もある。


でも、当事者は目の前の鉄の分岐点が実際より

大きく見えていてその先が見えなくて選べない。


そんな時は、自分の本音を許してあげて、愛してあげる。

そしたら難しく考えずにどっちでもいいから前に

進めるはず。


Love


















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